立ち止まって水を飲む

日記 エッセイ 雑記 その他をさらけ出したい。

孤高の俳人 山頭火

種田山頭火

 

強度の神経衰弱者

 

仕事が続かない

 

44歳から放浪の旅にでる

 

泥酔で熊本市内を走る 市電の前に立ちふさいで

事件を起こした

 

父親の会社が倒産

 

11歳のとき母フサが井戸に投身自殺

 

弟も自殺

 

酒におぼれ 人に迷惑をかけては 自分を責めた

 

無銭遊行で警察に留置された

 

寺送りとなり出家した

 

定住と放浪を繰り返した

 

演歌的俳人

 

五・七・五 ではない

 

季語がない

 

自由律の俳人

 

放浪の旅人

 

孤独

 

酒のみ

 

己のおろかさを俳句に

 

小さいトラウマが一生ぬけなかった

 

昭和15年  10月11日   59歳で心臓麻痺で亡くなる

 

山頭火は筆名

 

田螺公は俳号

 

 

代表的な俳句

 

「さみしい風が歩かせる」

 

「すべってころんで山がひっそり」

 

「たまさかに飲む酒の音さびしかり」

 

「何でこんなに淋しい風ふく」

 

「分け入っても分け入っても青い山」

 

「何を求める風の中ゆく」

 

「酔いたい酒で 酔えない私で 落椿」

 

「人の声して 山の青さよ」

 

「どうしようもない私が歩いてる」

 

「だんだん似てくる癖の 父はもういない」

 

「どかりと山の月おちた」

 

他・・・・多数・・・あり

 

自分の好みは

 

 「ついてくる犬よおまえも宿無しか」

 

「星へ おわかれの息を吐く」

 

「鴉啼いてわたしも一人」

 

「ふる郷ちかく酔うている」

 

「猫もさみしうて 鳴いてからだ すりよせる」

 

「別れて遠い あなたの酒で 酔うている」

 

「酒のめば 涙ながるる  おろかな秋ぞ」

など

 

 

また、山頭火は山好きで

 

「人に対すれば憎悪がおこる。自然に向かえばゆうかんかん おだかに生きておれる」

 

また

 

「酒飲みは 酒飲めよ。酒は甘露だ。涙でもなければ溜息でもない。そうだ 酒は酒だ。飲めば酔うのだ。」

 

「私は山頭火になりきればよろしいのである。自分を自分の自分として活かせば、それが私の道である」

 

「歩かない日はさみしい。飲まない日はさみしい。作らない日はさみしい。」

 と言った。

 

また

 

「俳句というものはそれが本当の俳句であるかぎり魂の詩だ。

 

心の現れを外にして俳句の本質はない」

 

「人間は少なくても私は同じ過失、同じ後悔をくり返して墓へ急いでいるのだ」

 とも言っている。

 

 

最後に

 

 「私はまた旅に出た。私はまた草履を穿かなければならなくなりました。旅から旅へ旅し続ける外ない私でありました」

 

と放浪し続けた後半の人生だった。

 

「汝自身を守れ     愚を貫け」

と言い放った。

 

 

歩く・飲む・作る

種田   山頭火

 

聞いてみたい

 

 山頭火   お前もか!」 

 

 

 

それじゃ・・・・